2025年08月29日
『放浪記』 監督・成瀬巳喜男 1962年
高峰秀子さんの『私の渡世日記』を読んで以来、ずっと気になっていた作品をやっと見られた( ̄▽ ̄;)面白かった。ちょいちょい気移りする私が一時停止も押さず一気に見たぞ。
高峰秀子の創り上げた林芙美子は何とも泥臭く、そして貧乏くさく、ダサい。近眼で斜に構えた視線はぶさいくに見えるし、着物の着方も隙があるというかだらしなさ一歩手前、姿勢も悪い。泣いている姿も見苦しい。ほとんどの男は見向きもしないだろう。でもある特定の男にとっては妙に惹かれる。それでもその我の強さとブルドーザーのような迫力にほとんどの男はついていけなくなる。で、芙美子は捨てられてしまう訳だが、多分捨てた男達の方が傷が深く打ちのめされたんじゃなかろうか。捨てられた芙美子は、こんな傷で負けてたまるかい!とばかりにさらに強くふてぶてしくなっていく。
常態化した悲観が行きついた先のなげやりな楽観とでも言おうか( ̄▽ ̄;) 出口の見えない貧しさの中、最初は手慰みに書いていた詩や日記が野心と繋がり、諦めることを知らない強い意志となる。冷たいんだか情があるんだかわからない、ヒネているのにどこか純粋、そして地を這いずってでもどこまでも生きてやるという負けん気と逞しさ。この女の生きざまから目が離せなかった。
求め続けた愛、放浪の果てに落ち着ける場を手に入れる事はできたんだろうか。売れっ子作家になり、女中さんもいる大きな邸に住んでも、芙美子はくたくたになりながら戦い続けている。どこまでも走り続けるしかない。そういう人生なのだ。それでもふと目をあげた先にあるつつじの花や、うたた寝している時、夫がかけてくれる毛布の温かみに救われる瞬間があったと思いたいよ。誰にも捕まえられないつむじ風のような人だった。
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