2020年02月07日
『心の傷を癒すということ』 第3話 見えない命綱
震災から2ヶ月。
人々は混乱の中から必死に歩き出そうとしていた。
湯浅(濱田岳)の病院も再建のめどが立った。
どこからか立ち上るイカナゴを炊く匂い。
関西出身の友人からイカナゴの炊いたんは郷土料理というだけでなく
食卓にないのはありえないほど大切なものと聞きました。
こういう時期だからこそ炊かなきゃならんと気張ってくれたんでしょうなぁ。
一瞬でも「日常」に戻してくれるにおい。
和隆(柄本佑)とセッションする湯浅・・・(* ̄m ̄)
サックスは無くなってしまったんやろな。
代りにダックスフンドのぬいぐるみで吹いとりました。
まだ二ヶ月。
『今』を大切に味わおうとする二人、そして終子(尾野真千子)。
和隆は避難所の校長先生(内場勝則)から、ある患者を紹介される。
片岡(清水くるみ)という女性で頭痛に苦しめられているため
壁に頭を打ち付けたり、ぶつぶつつぶやいてしまうため
同室の人たちから奇異に思われていた。
彼女はかつて和隆がいた病院でアルコール依存症で救急搬送されてきた人で
翌日逃げるように退院していったのだった。
和隆は避難所の教室に入る時も、そ〜っと『お邪魔しますね・・』という感じで
しずしずと入ってくる。
人と対している時は声のトーンも抑え、
ゆるやか〜に静かに存在している。
でも患者の言葉や様子はしっかり捉えている。
病状のメモも患者さんから一瞬も目を離さず書いていた。
実際の安先生もきっとこのような向き合い方だったんだろうね。
この先生は自分をちゃんと見てくれている、
自分の話を聞こうとしてくれている・・
この向き合い方がどれほど患者を力づけるか。
不安だった患者さんも安先生を通して
自分の存在を感じることができたと思う。
HPはこちら
人々は混乱の中から必死に歩き出そうとしていた。
湯浅(濱田岳)の病院も再建のめどが立った。
どこからか立ち上るイカナゴを炊く匂い。
関西出身の友人からイカナゴの炊いたんは郷土料理というだけでなく
食卓にないのはありえないほど大切なものと聞きました。
こういう時期だからこそ炊かなきゃならんと気張ってくれたんでしょうなぁ。
一瞬でも「日常」に戻してくれるにおい。
和隆(柄本佑)とセッションする湯浅・・・(* ̄m ̄)
サックスは無くなってしまったんやろな。
代りにダックスフンドのぬいぐるみで吹いとりました。
まだ二ヶ月。
『今』を大切に味わおうとする二人、そして終子(尾野真千子)。
和隆は避難所の校長先生(内場勝則)から、ある患者を紹介される。
片岡(清水くるみ)という女性で頭痛に苦しめられているため
壁に頭を打ち付けたり、ぶつぶつつぶやいてしまうため
同室の人たちから奇異に思われていた。
彼女はかつて和隆がいた病院でアルコール依存症で救急搬送されてきた人で
翌日逃げるように退院していったのだった。
和隆は避難所の教室に入る時も、そ〜っと『お邪魔しますね・・』という感じで
しずしずと入ってくる。
人と対している時は声のトーンも抑え、
ゆるやか〜に静かに存在している。
でも患者の言葉や様子はしっかり捉えている。
病状のメモも患者さんから一瞬も目を離さず書いていた。
実際の安先生もきっとこのような向き合い方だったんだろうね。
この先生は自分をちゃんと見てくれている、
自分の話を聞こうとしてくれている・・
この向き合い方がどれほど患者を力づけるか。
不安だった患者さんも安先生を通して
自分の存在を感じることができたと思う。
HPはこちら
仮設住宅の入居が始まっていたが、そこでの生活も心休まるものではなかった。
校長先生の所には隣に住む梓(紺野まひる)が
赤ちゃんの泣き声のことで謝りに来ていた。
向かいの人に怒られたらしい。
校長先生自身も奥様を亡くされたようで一人ぐらし。
でも、その悲しみと向き合う間もなく避難所で被災者のみなさんの
世話をしている。
『僕のことはええんや』
避難所の皆さんの世話をすることでなんとか生きていられる。
でも一人になると空虚な気持ちになってしまうようだった。
和隆も疲れ切っていた。
そんな和隆を受け止める終子。
『なぁ、終子・・・
生きてるだけで悲しいことたくさんあるのに
なんでわざわざ人が人に悲しいことするんやろ・・』
終子がいてくれて良かった。
ほんとうに大きな人やなぁ・・と思う。
和隆の見立てでは片岡さんは多重人格だった。
子供の頃、父親から虐待を受けていた片岡さんは
別の人格を作り出すことによって生き延びてきた。
その人格はさらに別の人格を呼び・・
複数の人格が片岡さんの中に入れ替わり立ち代わり
顕れ彼女を苦しめているのだった。
『こんな病気になったんは、私が弱いからですよね?』
『・・・・違うよ!
とても耐えられへんような苦しさと悲しさの中で
それでも生き延びる方法を見つけようとしたんや。
生きる力が強いんや』
逃げるようにあちこちの避難所で過ごしてきた片岡さんは
またここも出て行くのだという。
無理やり引き留めることはできない。
無念さに震える和隆だったけど
その言葉は自分を責め続けてきた片岡さんの救いになったと思う。
生きることをやっと赦されたような・・
彼女の中に生まれた小さな光を大切にしていって欲しいと思ったよ。
1996年1月。震災から一年が経った。
和隆と終子の間に第2子が誕生し、湯浅の病院も完成した。
実家では父・哲圭(石橋凌)の会社が傾き、体調も崩していた。
一代で会社を興したワンマン社長らしく息子にも弱いところを見せない父だった。
和隆が部屋を出た後、
渡したお金を大事そうに、でも無念そうに
押し頂く姿に、老いと病の深さが見えました。
和隆の中には、まだ父へのわだかまりが残っている。
それは自分を認めてもらえないという悲しさと
子供の頃から植えつけられている父への恐れを
乗り越えられない自分へのふがいなさでもあり・・
でも、昔に比べて勢いの無くなった父の姿を
見るのは辛い。
支配から解放されたいけど、 解放するような父では
あって欲しくないような?
そんな時、片岡さんが和隆のいる病院に診察に現れた。
ちょうどお昼に行こうと思っていたんだが・・
『もう・・・終わりましたか・・?』
『いや・・これからやで』
和隆の言葉に泣けた。
片岡さんの人生もこれから。
自分から診察室に来た片岡さんなら大丈夫。
その生きる強い力を信じて欲しい。
和隆が新聞に連載していた『被災地からの伝言』が一冊にまとまり、
その本が『フロンティア学芸賞』を受賞した。
永野先生(近藤正臣)もお祝いの席に来てくれた。
『賞に値する本を書いたっていう実感がないんです。
それに・・・震災のことを書いて賞をもらうなんて・・
何か申し訳ない気がします』
『突然襲いかかった災害に君が手持ちの武器だけでどう立ち向かったのか、
それが、この本に書いてある。
本の中に、人の苦しみに精一杯耳を傾けている君がいる。
ええ本や!』
照れたように感謝の言葉を伝える和隆・・
やっと受賞の実感がわいたかしら・・
どこまでも謙虚で真摯な姿勢を失わない愛弟子の姿が
永野先生も誇らしかったろうねぇ
受賞パーティの後、実家の父を見舞った和隆は
モノが少なくなった(治療費のために売った)家と
病状の進行した父の姿にショックを受ける。
結局、父の会社は倒産し、
病の方もすでに末期になっていた。
フロンティア文芸賞の賞状の入った額を大事そうに置き、
その前に置いてあった若い頃の自分の写真立てを伏せた父は
昔、韓国人として差別を受けた悔しさを初めて涙ながらに語った。
その悔しさをバネに社会に貢献しようと必死に働いてきたと。
『・・そう思うて休む間もなく働いて・・・
やっと成功した思うたら・・・全部なくしてしもうた・・
ハッ・・・ハッ・・・情けないわ!・・・堪忍やで・・・』
『・・・・僕な、昔、自立せぇって言われるの辛かったんや。
なんや、自分一人で生きていけって見放された気がしてな。
・・・・一生懸命働いて、せやけど、うまくいかへんかった。
・・・それを僕は情けないとは思わへんよ』
やっと男同士、腹を割って話すことができた。
自分の思いを伝えることができた。
お父ちゃん、和隆の成長が心から嬉しかったと思うよ。
亡くなった後、和隆の賞状何度も読んでいたって弟が伝えていたもんね。
年をとったから、病気で弱っていたからかもしれないけど
そのおかげで語り合うことができて
不器用だった父の愛情を信じることができた。
これは和隆のこれからの人生にとって大きなことだよね。
一方、校長先生の心は蘇らずにいた。
死に向かう気持ちを娘に話すも、父親が死ぬとは全く思わない娘は
悪気なく『地震からもうすぐ二年経つんよ。そろそろ元気にならんと!』と励ましていた。
『もう二年』・・・
でも校長先生の中では時間は流れていないんだと思う。
被災者たちの対応をしながら、今日一日明日も一日と生きてきた。
でも生きているという現実感がない。
死にたいと言うよりも、生きる理由が見つからないのかもしれない。
心が疲れきっているんだと思う。
朝、お米が無くなったのに気づいた先生は
カミソリに目が向いた。
それを手に取ろうとした時、隣の梓がやってきた。
『イカナゴ炊いたんです。
ちょっとですけど、おすそわけ』
『・・・・・』
イカナゴの入ったタッパーを手にした校長先生のもとに
『現実』があらわれた。
生きている『今』が感じられた。
きっと奥さんも、この時期炊いてくれてたんでしょう。
あの匂い、一緒に食べた食卓、その味が、生活が蘇った。
『米・・・買いにいこ・・』
食べることは生きること。
それは校長先生にとって寂しさと向き合うことにもなるかもしれないけれど
生きていって欲しいと思ったよ。
『案外ささやかなものが生きる力くれるんやで』
和隆が片岡さんに言った言葉。
本当に、最期にカレー食べておきたいなぁ・・とか
猫にエサやらないとなぁ・・なんてささやかなことが
生きる理由になっていることに気づく。
人生はささやかなことの積み重ねだもんね。
ついに最終回・・・
見るのが辛いわーーーー
第1話 神戸、青春の街
第2話 僕たちの仕事
校長先生の所には隣に住む梓(紺野まひる)が
赤ちゃんの泣き声のことで謝りに来ていた。
向かいの人に怒られたらしい。
校長先生自身も奥様を亡くされたようで一人ぐらし。
でも、その悲しみと向き合う間もなく避難所で被災者のみなさんの
世話をしている。
『僕のことはええんや』
避難所の皆さんの世話をすることでなんとか生きていられる。
でも一人になると空虚な気持ちになってしまうようだった。
和隆も疲れ切っていた。
そんな和隆を受け止める終子。
『なぁ、終子・・・
生きてるだけで悲しいことたくさんあるのに
なんでわざわざ人が人に悲しいことするんやろ・・』
終子がいてくれて良かった。
ほんとうに大きな人やなぁ・・と思う。
和隆の見立てでは片岡さんは多重人格だった。
子供の頃、父親から虐待を受けていた片岡さんは
別の人格を作り出すことによって生き延びてきた。
その人格はさらに別の人格を呼び・・
複数の人格が片岡さんの中に入れ替わり立ち代わり
顕れ彼女を苦しめているのだった。
『こんな病気になったんは、私が弱いからですよね?』
『・・・・違うよ!
とても耐えられへんような苦しさと悲しさの中で
それでも生き延びる方法を見つけようとしたんや。
生きる力が強いんや』
逃げるようにあちこちの避難所で過ごしてきた片岡さんは
またここも出て行くのだという。
無理やり引き留めることはできない。
無念さに震える和隆だったけど
その言葉は自分を責め続けてきた片岡さんの救いになったと思う。
生きることをやっと赦されたような・・
彼女の中に生まれた小さな光を大切にしていって欲しいと思ったよ。
1996年1月。震災から一年が経った。
和隆と終子の間に第2子が誕生し、湯浅の病院も完成した。
実家では父・哲圭(石橋凌)の会社が傾き、体調も崩していた。
一代で会社を興したワンマン社長らしく息子にも弱いところを見せない父だった。
和隆が部屋を出た後、
渡したお金を大事そうに、でも無念そうに
押し頂く姿に、老いと病の深さが見えました。
和隆の中には、まだ父へのわだかまりが残っている。
それは自分を認めてもらえないという悲しさと
子供の頃から植えつけられている父への恐れを
乗り越えられない自分へのふがいなさでもあり・・
でも、昔に比べて勢いの無くなった父の姿を
見るのは辛い。
支配から解放されたいけど、 解放するような父では
あって欲しくないような?
そんな時、片岡さんが和隆のいる病院に診察に現れた。
ちょうどお昼に行こうと思っていたんだが・・
『もう・・・終わりましたか・・?』
『いや・・これからやで』
和隆の言葉に泣けた。
片岡さんの人生もこれから。
自分から診察室に来た片岡さんなら大丈夫。
その生きる強い力を信じて欲しい。
和隆が新聞に連載していた『被災地からの伝言』が一冊にまとまり、
その本が『フロンティア学芸賞』を受賞した。
永野先生(近藤正臣)もお祝いの席に来てくれた。
『賞に値する本を書いたっていう実感がないんです。
それに・・・震災のことを書いて賞をもらうなんて・・
何か申し訳ない気がします』
『突然襲いかかった災害に君が手持ちの武器だけでどう立ち向かったのか、
それが、この本に書いてある。
本の中に、人の苦しみに精一杯耳を傾けている君がいる。
ええ本や!』
照れたように感謝の言葉を伝える和隆・・
やっと受賞の実感がわいたかしら・・
どこまでも謙虚で真摯な姿勢を失わない愛弟子の姿が
永野先生も誇らしかったろうねぇ
受賞パーティの後、実家の父を見舞った和隆は
モノが少なくなった(治療費のために売った)家と
病状の進行した父の姿にショックを受ける。
結局、父の会社は倒産し、
病の方もすでに末期になっていた。
フロンティア文芸賞の賞状の入った額を大事そうに置き、
その前に置いてあった若い頃の自分の写真立てを伏せた父は
昔、韓国人として差別を受けた悔しさを初めて涙ながらに語った。
その悔しさをバネに社会に貢献しようと必死に働いてきたと。
『・・そう思うて休む間もなく働いて・・・
やっと成功した思うたら・・・全部なくしてしもうた・・
ハッ・・・ハッ・・・情けないわ!・・・堪忍やで・・・』
『・・・・僕な、昔、自立せぇって言われるの辛かったんや。
なんや、自分一人で生きていけって見放された気がしてな。
・・・・一生懸命働いて、せやけど、うまくいかへんかった。
・・・それを僕は情けないとは思わへんよ』
やっと男同士、腹を割って話すことができた。
自分の思いを伝えることができた。
お父ちゃん、和隆の成長が心から嬉しかったと思うよ。
亡くなった後、和隆の賞状何度も読んでいたって弟が伝えていたもんね。
年をとったから、病気で弱っていたからかもしれないけど
そのおかげで語り合うことができて
不器用だった父の愛情を信じることができた。
これは和隆のこれからの人生にとって大きなことだよね。
一方、校長先生の心は蘇らずにいた。
死に向かう気持ちを娘に話すも、父親が死ぬとは全く思わない娘は
悪気なく『地震からもうすぐ二年経つんよ。そろそろ元気にならんと!』と励ましていた。
『もう二年』・・・
でも校長先生の中では時間は流れていないんだと思う。
被災者たちの対応をしながら、今日一日明日も一日と生きてきた。
でも生きているという現実感がない。
死にたいと言うよりも、生きる理由が見つからないのかもしれない。
心が疲れきっているんだと思う。
朝、お米が無くなったのに気づいた先生は
カミソリに目が向いた。
それを手に取ろうとした時、隣の梓がやってきた。
『イカナゴ炊いたんです。
ちょっとですけど、おすそわけ』
『・・・・・』
イカナゴの入ったタッパーを手にした校長先生のもとに
『現実』があらわれた。
生きている『今』が感じられた。
きっと奥さんも、この時期炊いてくれてたんでしょう。
あの匂い、一緒に食べた食卓、その味が、生活が蘇った。
『米・・・買いにいこ・・』
食べることは生きること。
それは校長先生にとって寂しさと向き合うことにもなるかもしれないけれど
生きていって欲しいと思ったよ。
『案外ささやかなものが生きる力くれるんやで』
和隆が片岡さんに言った言葉。
本当に、最期にカレー食べておきたいなぁ・・とか
猫にエサやらないとなぁ・・なんてささやかなことが
生きる理由になっていることに気づく。
人生はささやかなことの積み重ねだもんね。
ついに最終回・・・
見るのが辛いわーーーー
第1話 神戸、青春の街
第2話 僕たちの仕事
matakita821 at 18:18│Comments(2)│「心の傷を癒すということ」
この記事へのコメント
1. Posted by 紅緒まま 2020年02月10日 09:48
実際に活躍されているお医者さんの活動をベースにしたドラマなのかな。疎くてすみません。
最近はテレビドラマはBSプレミアムでモース警部、モース刑事を観るばかりです。
近藤正臣さんも出ているんだ。最近、どんな感じなんだろう。
最近はテレビドラマはBSプレミアムでモース警部、モース刑事を観るばかりです。
近藤正臣さんも出ているんだ。最近、どんな感じなんだろう。
2. Posted by きこり→紅緒ままさん 2020年02月13日 11:15
こんにちは〜♪コメントありがとうございます。
実際に活躍されたお医者様とご家族の話です。
私もBS,CS多いし、韓ドラの方がよく見ているかも(笑
近藤正臣さん、主人公の師匠的な役だったのですが
実直で温かみがあって素敵な先生でしたよ。
実際に活躍されたお医者様とご家族の話です。
私もBS,CS多いし、韓ドラの方がよく見ているかも(笑
近藤正臣さん、主人公の師匠的な役だったのですが
実直で温かみがあって素敵な先生でしたよ。