「Nのために」 第9話 最終章〜前編〜今夜事件の幕が開く!   「Nのために」 最終話 明かされる事件の真実・・・N達の未来   

2014年12月16日

プレミアムドラマ 「ナンシー関のいた17年 顔面至上主義」

『NHKBSプレミアム プレミアムってなんだ?
それはさておき、ドキュメンタリードラマ「ナンシー関のいた17年」を見た。
「ナンシー関の人生を描く」とか言っておいて、結局お涙頂戴ってどうなのよ。
保険かけてどうする。NHKの限界を見た。合掌』


 まぁ、このセリフ自体が保険な訳だが・・・
脚本を書いた方もどう締めたらいいのか、悩まれたことでしょう。
でも、いいのです。よくぞナンシー関さんのドラマを創ってくれました。

 
 実はこの番組の存在を全く知らなくて、たまたまTVをつけたら始まったんで慌てたよ。TVをつけると思い付いた自分を褒めたぞ。
見ながらすぐに録画したさ〜
番組情報はこちら


『私は顔面至上主義を謳う。
見えるものしか見ない。
しかし目を皿のようにして見る。
そして見破る。
それが顔面至上主義なのだ』


 これは、仕事で関わりあった方たちのインタビューも交えながら、妹・米田真理さんの目線で描かれるナンシー関と関直美の物語。

 私にも三歳年上の姉がいる。
本人はどう思っているか知らないが、姉であるということは妹であるよりもキャラクターに影響があると思う。
たまたま先に生まれただけかもしれないが、同じ家に育ちたいして変わらない教育を受けたにも関わらず(調子に乗りがちな性格故、姉と違って私は父からも母からも殴られていたが)、姉と私は違う。

 そしておばちゃんと呼ばれる年齢になっても、私にとっては唯一気楽に甘えられる相手であり、やっぱり、お姉ちゃんには叶わないと思う。
真理さんにとっても『ナンシー関』と呼ばれるようになり、マスコミで注目される文化人になっても、直美さんは、ちょっと心配だけど誇らしい「私のお姉ちゃん」だったのでしょう。
  
 ドラマはナンシー関(安藤なつ)が突然心不全で亡くなった2002年6月12日から始まる。知らせを受けた真理(新山千春)が駆け付けた時、直美はすでにこの世の人ではなかった。


『1990年代から2002年まで、ナンシー関の切れ味鋭いテレビ批評は
一世を風靡しました。
しかし私にとっては、たった一人の姉であり誰よりも素敵な女性でした』


 1985年、様々な雑誌に売り込みに歩いていた関直美は『ホットドッグプレス』編集部の伊藤正幸(いとうせいこう)(中村靖日)を訪ねた。
これはナンシーが通っていた広告学校の打ち上げで親しくなった白木(後のえのきどいちろう夫人)経由えのきどいちろうのつてだったらしい。 

 シャイな雰囲気でちんまりと座っていた直美はクッキーの丸い缶一杯に入っている消しゴム版画を見せた。
いとうは直美が作った世界のおもしろみを見抜き、その場で自分の顔を彫らせた。
できあがった版画には『敏腕編集者』というキャプションが付いていた。
いとうは、すぐに自分の担当記事のイラストをレギュラーで依頼した。








 その後、イラストと共に文章も書くよう依頼。
いとうは直美の才能に気づき、世に出し、育てたけど、直美もきちんきちんと求められた以上に応え続けた。

 「ナンシー関」というペンネームはいとう考案だった。
当時、「ペーター佐藤」とか「スージィ甘金」というようなカタカナと苗字を組み合わせたポップなものが目立っていた。


「だって消しゴム版画がバーンと載ってて、
関直美って書いてあったら、ちょっとこう・・・
版画って古いイメージに見えちゃう可能性があるんですよね。
カタカナのナオミ・セキでも良かったんですよね。
でも・・・まぁ、ナオミ・ワッツ的な。
でも、やっぱり、それじゃあ離れてないんですよね、まだ雰囲気が。
やっぱりナンシーっていう名前を日本人がつけていることが、
バカバカしいっていう・・・」
(いとうせいこう氏 談)


 私も最初、この名前を見た時うさんくささと同時にそう名乗るセンスの良さにニヤリとしたものだった。
そして、いい名前だと思った。

 当時、調理師をめざし上京していた真理は直美の小さなアパートに同居していた。
「ナンシー関」になった直美は「ちょっとコレ、見てっけ」と普通な感じで自分の記事が載っている雑誌を真理に差し出した。

「この世界でプロとしてやっていくつもりだ」直美
「へえ〜すげぇなあ・・・でもこの「ナンシー関」って金髪のセクスィーな美女みたいな名前だね。なんで「ナンシー関」だべ?」真理
「こっちが聞きたいじゃ。外人でもねぇのに」
「んだなぁ、へ〜すげぇ・・すんげぇなあ!お姉ちゃん!」

 感動する真理の言葉を、直美はちょっと照れくさそうに聞いていた。


『個性ゆたかなサブカルチャー雑誌が全盛だった1980年代後半、
ナンシー関はイラストレーターとしてコラムニストとして快進撃を続けていきました。
ナンシー関の仕事の中ではTV批評が最も好評のようでした。
それもそのはずで・・・・
こんなにTVが好きな人を、私は他に知りません。
当時から姉は1日15時間以上TVを見ていました』


 かつてナンシー関はインタビューにこう答えていた。

「ビデオデッキはリビングに三台と仕事場に小さいテレビビデオが1台あります。
録画は異常にしますね。夜の7時から11時って時間帯って、仕事が崖っぷちって状態の時が多いんですよ。”早く原稿ください”という電話でね。その時は録画しますね。
セレクターがあって、フル稼働すれば4番組同時に撮れるんですけど、4台稼働ってのは年に一回あるかないかで、お正月とか。2台はザラですね。3台も月に何度か」


 さすが、自他ともに認める「TVの鬼」。
描きたい人物が出ている番組を録画し、一時停止して、TV画面に直接トレーシングペーパーを乗せて輪郭をなぞる。
それから消しゴムの大きさに描きかえて(それとも縮小コピー?)なぞった後、
彫り始める。

 真理が寝る頃になっても、直美は電球の明かりで照らしながら、
黙々と消しゴムを彫っていた。
多分、真理さんがよく思いだすお姉さんの姿なのだろう。

「ナンシー関先生に質問。
どして毎日毎日飽きもせずに版画ば彫りつづけられるんですか?」真理
「そこに消しゴムがあるからさ」直美
「うお〜かっこいい!」
「♪ 娘さん よく聞けよ 消しゴム版画家には惚れるなよい ♪」
「いいぞお〜!危ない!(ナンシーさんの手元にあたっちゃった)」
「あぶねぇなぁ、おめぇは」


『ナンシー関の処女作「顔面手帳」は30歳を前に
姉が世の中に認められた証となりました』


「なかなかね・・・筆の進みは遅い方だったんで、
なかなか原稿は書いていただけない」
(「顔面手帳」編集担当 君塚太談)


 喫茶店で待ち合わせて書けた原稿を受け取るんだけど、
直美は親戚のおばちゃんがおこずかいでも与えるように
ポッケから折り畳んだ原稿用紙を君塚の手に握らせた(* ̄m ̄)

「今日はどのくらいいただけますでしょう?」君塚
「少なくて悪いね」直美
「ありがとうございます、助かります」
「いいってことよ(肩ポン!)」

 作家自らが原稿をこんなふうに折りたたむということに君塚さんも驚いたそうな。
プロとして仕事はしていたけど、自分のやっていることをどこか大したもんだと思っちゃイカンって気持ちがあったのかな。「文筆家」になっちゃいけないみたいな。


『イラストレーターを目指して、共に青森から上京した親友・田嶋美智代さんの存在は姉にとって心の支えでした』

 時々会っては酒を酌み交わしながら励まし合ってたんだねぇ・・・
青森弁で言いたいこと言えるってのもほっとしたんだろうな。

「私は一生結婚はしねぇ。
この世界で成功するためには平凡な幸せは望んじゃいけねぇと思うんだ。
そんなに甘くねぇもん」直美
「私も、イラストレーターとして名を知られるようになるまでは結婚はしねぇつもりだ。お互い頑張るべ」美智代(木南晴夏)
「アームストロング田嶋さ乾杯!」
「そのペンネームはやめるじゃ・・」


 1991年、真理と一緒に青森の実家に帰省した直美は両親に処女作を手渡した。
大喜びした両親はすぐに読んでくれたが・・・
父親から「人の悪口書くような商売して恥ずかしくねぇのか?!」と怒られてしまった。
そして母からも、書かれた芸能人のファンに「刺されたらどうするの?」と不安の声が・・・
「・・・・・仕事だはんで」直美


『姉は両親に心配をかけないよう、帰省しても
二度と仕事の話をすることはありませんでした』


 「ナンシー関」ではなく、関直美として悩むところもあったんだべな。
こういう意見もあるって、刃を感じながら書いていたはず。


「非常に生真面目な人だなという印象が・・・
原稿はすごく面白い。笑わせてくれるものなんですけど、
自分の作品についてもすごく真摯でもって、クオリティを絶対にさげない」
(「何様のつもり」編集担当 枽田義秀)


『後に生涯の伴奏者となる枽田義秀さんとの出会いによって、
ナンシー関の才能は世に広く知られるようになりました』


 最初の本を出した君塚さんもそうだけど、この枽田さんもナンシー関の仕事が大好きな思いと強い尊敬が伝わってくる。
『何様のつもり』はタイトルも内容も斬新で新鮮だった。

 ドラマの中でナンシーさんは枽田さんに「私の書くものなんて所詮芸能人の悪口ですよ」と言っていたけど、冷徹な目を通してほどよい辛味で文章化された「悪口」は
私にとっては常に新しいものの見方の発見であり、表現できずにもやもやしていたものの答えだった。
そして気軽に笑って読ませてくれながら、真剣(刀)を使っているような覚悟が感じられた。

 その後、直美はナンシー関としての巾を広げるため、現場取材をするようになった。


『矢沢永吉のコンサートや映画『男はつらいよ』公開初日など熱心に取材していました。人々がまるで魔法にかかったように集団で行動する心理に姉は関心があるようでした。
この「ルポルタージュ 信仰の現場」は大変好評だったのですが、姉は連載を終了させてしまいました』


 その理由は生まれつき視力が弱く、メガネをかけても0.3ぐらいしか見えない目の悪さにあった。
現場にいても、はっきり見えなければ納得のいく取材はできない。

「普段の生活していても、看板や他人の顔ははっきりと見えない。
だから取材して書くのは向いてないんだ・・」直美
「・・・・・・・・・」真理
「テレビは何でもアップにしてくれるでしょう?だから好きなんだ。
私には世の中のほとんどのものがぼんやりとしか見えないからね・・」

 「信仰の現場」はTV批評とはまたちょっと違ってまっすぐナンシー関の目線が伝わってきて大好きでした。
何で連載終わっちゃったのかな〜と残念に思っていたのですが、そういう理由だったのか〜
見えないからこそ、ナンシー関は目を皿のようにして、さらに奥にあるものを見ていたのか・・


「自分は圧倒的にTVを見ていると、1日中見てTVのことを考え、観察していると。
TVの裏側の業界的な事情とか、そういうことではなく視聴者としてのスタンスで
一番TVを見てる」(枽田さん談)

「TVの仕事も断ってたしね。
出ちゃうと好きなことが書けなくなる、人間関係ができちゃうって」
(いとうせいこう氏 談)


 私がここまでナンシー関さんに惹かれたのは、本当に私のような一般人と同じ立場でTVの画面だけを見て判断し書いていたからだと思う。
でも、その目はTVに出ている人間を通し鋭く深く広がっていた。
TVに出ている人の事情なんて関係ない、出たらそれが、その人になる。
演出していようと、されていようと、ハプニングが加味されていようと、視聴者が判断できるのは画面から伝えられる情報だけだ。
そのスタンスを貫いたナンシー関さんは視聴者のプロでありフェアな人だったと思う。

 青森で行われた田嶋美智代さんの結婚式で直美は美空ひばりの『真っ赤な太陽』を思いっきり歌ったけど、心中は複雑だった。
美智代が結婚を機にイラストレーターを辞め青森に帰ることにしたからだった。
一緒に頑張ってきた同志、美智代の才能を誰よりも信じていた直美にはショックだったし寂しかったんだろうね。

 お色直しに向かう美智代さんに直美は言った。
「美智代、おめぇさ、こいからだって言うのに、どして結婚できるの?!」直美
「やめてけ。おっきな声出して」美智代
「どして簡単に夢をあきらめきれるの?!」
「私は直美とは違うの!」
「・・・・・・」
「直美は才能さあるはんで、いくら夢見たって言いべさ!
私は・・・平凡な女だはんで・・」
「・・・・・・ごめん。ちょこっと酔ってただけだぁ。忘れてけぇ」

 帰宅していつものように黙々と消しゴムを彫っている直美に
真理は「結婚したくなった?」と尋ねた。

「ウェディングドレスのサイズがないでしょ」直美
「そうだね」
何しろ私は規格外だからさ。子供の頃から。
だから平凡な幸せは望んではいけないんだよ・・・」


『1993年「週刊朝日」と「週刊文春」でナンシー関の連載が始まりました。
ふたつの週刊紙に同じTV批評という題材で連載を持っているコラムニストは
他に例を知りません。
2002年までの10年間をナンシー関は休むことなく全力疾走しました』


 ここでゲストとしてデーブ・スペクターが出てきて1994年の週刊紙上での
ナンシー関との論争について語っていた。


「ナンシーさんに煽られた訳じゃないですけど、同じくおもしろく書いてやるっていう反論ね。だから表現とか一生懸命考えて、負けないぐらいの皮肉・揶揄するつもりで書いたんですよ。
ていうのは、ナンシーさんのもちろん読んでたんですけど、いつも会ってもいない人のこと書くんですよ。
自分でも、ただ少しわかるのは、会ったことない人、嫌な人だ〜と思って先入観できちゃうからね。
ところが会って見ると、そんなに悪い人じゃないという・・
TVについて書いているコラムニストいっぱいいるんですけど専門知識ない。
ほどんどないです。わかってないです。新聞でも。
で、ナンシーさんの場合は全く自分の好き嫌いで書いてるだけで、
本当のこと言うと深くはわかっていない」(デーブ・スペクター氏談)


 ( ̄▽ ̄;)アハハ…「実際会ったこともない人のこと書く」って・・・
TV批評なのに。
根本的にズレてると思う。
ナンシー関の文章が好き嫌いから発信されていると感じたことはなかったなぁ。

 その後、デーブ・スペクターの反論にナンシー関さんはこう返した。

『結局、こういう原稿を書くことをやめろと言いたいらしいが、これは私の生業である。聞く耳もたん。
それとあなたには片っ端から罵っているようにしか読めないかもしれないけど、
それじゃあお金はもらえないのである。自分で言いたくはないが芸なのである。
ま、ちゃんと読んでから怒ることだ』


 真理の結婚が決まり、部屋を出て行くことになった。
「おめぇを嫁に出す時が来るとはのう・・・
お姉ちゃん、嬉しいんだか悲しいんだか( ̄ーÅ)」直美
「ま〜たふざけて。照れくさいんでしょ?またちょくちょく遊びに来るって。
彼のマンションもすぐ近くなんだから。な!」真理
「・・・・・・12年間世話になったのう。
家事は全部おめぇにまかせっきりだったから」
「ちっちゃい頃からお姉ちゃんの方が料理上手だったじゃん。
忘れたフリしないでよ」

「・・・・・・」
「お姉ちゃん、どったに忙しくても出前ばっかりじゃダメだからね」
「・・・・・真理はいい奥さんになるべ。お幸せにのう」
「ありがとう・・(TwT。)」
「元気での」
「お姉ちゃんも。へばね」
「へば」


『締切に追われる慌ただしい日々の中で姉が楽しみにしていたのは、
月に一度のリリー・フランキーさんとの対談「小さなスナック」でした』


「僕、女性でこんなに喋ることって、ホントに大笑いすることってナンシーさんだけなんですよ。ほんとにおもしろい人でした。
何かつまらないことでも、おもしろくしてくれるんですよ。
俺が幼稚園バス降りた瞬間に泣きながら家に走って帰ってたんですよ。
それを繰り返してていつも脱走してたんですよ。
幼稚園が嫌でって言ったら、ナンシーさんが、すごい頭の回転が速いので
すぐスルッと「それって『5の夜』だよね」。
尾崎の『15の夜』じゃなくて「5の夜」だって。
そういうことをサラッとおもしろく言うというか・・・」
(リリー・フランキー氏 談) 


 「小さなスナック」は雑誌連載中から楽しみにして読んでいました。
大好きなリリーさんとナンシーさんの対談、読まずにいられますかっての。
リリーさんが気持ちよさげにナンシーさんに身を委ねていると言うか、
信頼といい意味の甘えが伝わってくる。
そしてナンシーさんが、時に柔らかく、時にハードにうけとめている。
その掛け合いにわくわくしました。
同志のような、姉と弟のような、特別な二人だったと思います。


 直美が一人暮らしを始めてどれぐらい経ったのかのう・・・
親友の美智代から額に入ったイラストが送られてきた。

「私、やっぱし絵を描くことが好きだはんで、やめられねじゃ。
青森で描き続けることにしたんだ」美智代
「うん・・・うん・・・(ノ∀;`)」直美
「ナンシー関の連載は全部読んでるはんで、中途半端な仕事したら許さねぇよ。
直美と私は永遠のライバルだはんで」
「・・・・・・・(ノω;`)」
「聞いてらぁ?」
「うん・・・ミッチー・・・ありがとう・・・わだす負けねぇ・・」

 直美ちゃん・・・がんばってたんだねぇ・・・(´;ω;`)

 2002年、久しぶりに会った真理と食事に出かけるために歩いていた直美は発作を起こした。
真理は心配し病院に行くよう勧めたが「毎日締切があるから病院なんて無理だよ」と答えていた。
「昨日今日太った訳じゃないからさ。年季の入った肥満なんだから大丈夫だって」
「・・・・・・・」
「こうやって一歩づつ歩いていけば・・・いつかたどりつく・・・」


『それはナンシー関の生き方そのものでした』

 2002年6月11日、締切に追われる中、直美は友人の開店パーティに出席した。

『姉は友達を大切にする人でした』

 残っている仕事をするためにタクシーで帰っている途中、直美は発作を起こし苦しみだした。

『病院に搬送されて日付が12日になり、ナンシー関こと関直美は永眠しました。
虚血性心不全。雨の夜でした』


 直美が眠っている病室には突然の悲報を聞きかけつけた人たちが、
ある者は呆然と、ある者は涙にくれながらいました。
そんな中、真理は姉の声に呼ばれ、廊下を行ってみると、突き当りの椅子に姉が座っていました。

「参ったな〜今夜締め切りの原稿が二つあってさ・・・申し訳ないことしちゃった」
「お姉ちゃんは本当に律儀な人だね」
「ナンシー関の読者を裏切る訳にはいかないからね」
「・・・・・」
「そっか・・ナンシー関はもうこの世にいないのか・・・
アンタ!お願いだから棺桶に版画彫った消しゴムなんか絶対入れないでよね。
火葬されたら不完全燃焼でゴムの臭いが大変なことになるからね( ̄∀ ̄)」
「そういう冗談やめてよ・・」
「・・・・・・・」

「ねぇ、お姉ちゃん、どうして死んじゃったの?」
「ソレ、本人に質問するってどういうこと?」
「教えてよ」
「非常識でしょ」
「・・・・・・」
「TVがつまらなくなったから・・・TVの寿命がナンシー関の寿命ってことだね」
「本当に?そんな理由で?ひどいじゃないの!」
「・・・・冗談だべさ。
天国でも地獄でもいいけどさぁ・・・そこってTVあるべかな?」

 目が覚めた真理は穏やかな姉の顔を見つめた。


『そんな会話を交わしたはずがないのに、
姉の優しい声は、まだ耳の奥に残っていました』


 真理は妹として最後の仕事、化粧が嫌いでしなかった姉の唇に紅を塗った。
「お姉ちゃん・・」


『照れているのか・・・姉は返事をしてくれませんでした』

 まぁ、全体的にセンチメンタルなタッチになるのはしかたないでしょう。
真理さんの目から見たら「ナンシー関」は、たった一人の大切な姉なのですから。
それでも淡々と描こうとしているのが心地よかったです。

 ナンシー関を演じた安藤なつさん、最初、スティックかしら?と思ったりしたけど
( ゞ( ̄∇ ̄;)オイオイ!)、そこが良かった。
演じようとしないで、ただそこにナンシー関として居ようとする姿勢が自然とドラマへと引き込んでくれました。
真理を演じた新山千春さんからも姉への尊敬と愛情が沁みわたるように伝わってきた。いや〜BSならではの企画だよねぇ・・・有難いよ。

 ナンシー関の視点を失った私は寂しさに耐えつつ、TVを見続けております。
でも、いつも「心にナンシー関を」(@大月隆寛)!
今宵はナンシー関先生の著作を読みながら、ぬるい自分を見つめ直しますデス・・・

 って、東京じゃナンシー関の展覧会やってるんだね。
うぅ・・・12月じゃなきゃ・・・行きたかったよぅ・・・
生消しゴムが見られるなんて・・・羨ましいよぅ・・・(ノω;`)

 
こたつ  

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matakita821 at 19:35│Comments(6)2014年ドラマ 

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1. 「ナンシー関のいた17年」  [ ドラマでポン ]   2014年12月21日 01:20
『プレミアムってなんだ』とラストにナンシー関調でツッコミが入ることに笑ったw 確かにナンシーさん言いそうw 突然の訃報からもう12年もたつんですねえ。しばらくはまって、何冊 ...

この記事へのコメント

1. Posted by ヨーコ   2014年12月17日 06:18
わぁ、こんなドラマをやってたなんて!
見逃したわ〜(泣!!
東京でやっているナンシー関展の話は
空耳の安斎さんとか能町さんが
話題にしているのを見て知ってたんだけど
ドラマまで作っていたのは知らなかった〜。
ナンシーさんの似顔絵消しゴムに添えられた絶妙な一言が好きで
見る度に大笑いしていたんだよねぇ。
あぁいう感覚を持っている人って他にいないから淋しいよね。
2. Posted by きこり→ヨーコさん   2014年12月17日 23:25
私も偶然見ることができたのよ〜!びっくりしたよ。
まさかナンシー関さんのドラマが創られるなんて。
ナンシーさんが見ていたら、 ゞ( ̄∇ ̄;)オイオイ誰が見るんだよ?って思いっきりツッコんだだろうね(笑
>ナンシーさんの似顔絵消しゴムに添えられた絶妙な一言が好きで
見る度に大笑いしていたんだよねぇ。
そうそう。版画の完成度はもちろん唯一無二ですごかったんだけど、あのキャプションがその人をズバリと言い当てていたもんね〜
あんな独特の切り口でTVを語ってくれる人は、あれから出てきていないよね。
あーーそれにしても生消しゴム見たいよ〜
3. Posted by う〜みん   2014年12月18日 03:54
こちらは雪が散らつく程度でしたが北海道は大雪とのこと大丈夫ですか?

うちも優等生の姉にやりたい放題の妹(私)でしたよ(^_^;)ケンカもたくさんしましたが仲良し姉妹でこんな年になった今でもやっぱり「お姉ちゃん大好き」です世の中には仲が良くない姉妹もいるみたいですけど私は姉がいてくれて良かったなって思う事が多いです(*^_^*)
4. Posted by きこり→う〜みんさん   2014年12月19日 11:25
いや〜今年は雪が少ないと思っていたんで突然の大雪にびっくらですよ〜
除雪は追いつかないし、歩道はこいでいかなきゃならないしーー
昨日はたまった雪を業者が取にきてくれることになっていたんですが
混みこみ&渋滞もあって結局夜になっても来てくれず、待ちぼうけ。
雪のおかげで荷物は遅れるし、えらいこっちゃでした〜(-。−;)
う〜みんさんとお姉さんもうちと似た感じだったのですね(笑
私は若い頃は姉に対するコンプレックスが強くて反発していたんですが
やっぱり特別な存在ですね。
私は母親とあまりいい関係が築けていないので、肉親では姉が唯一頼れる存在というか〜
そんなにしょっちゅう連絡とるわけではないんですが
話すとやっぱり姉は違うな〜と尊敬の気持ちとともに妹である自分を再確認しますよ〜(笑
5. Posted by う〜みん   2014年12月20日 20:54
歩道をこいで行くとか雪を業者が取りに来るとか全く想像できない世界です(・_・;)
そう言えば鹿児島に行った時に「灰捨て場」というのがあって驚いたのを思い出しました。

私がわがまま放題だったため姉は我慢させられる事が多く「自分はおりこうさんにしてないとかわいがってもらえない」と思ってたらしいです(・_・;)それを聞いた時(高校生くらいだったと思います)に「これからは私がお姉ちゃんになるからもう頑張ってお姉ちゃんしなくていいよ」と言ったら姉は嘘みたいに変わりました(^_^;)小さな頃からずいぶん気を張っていたんだなと申し訳なく思ってます。
6. Posted by きこり→う〜みんさん   2014年12月21日 18:31
>歩道をこいで行くとか雪を業者が取りに来るとか全く想像できない世界です(・_・;)
いや〜そうですよね。うちは会社と倉庫の駐車スペースがあるので、雪がなくならないかぎりお客さんの車も入れられないしでホント困るんですよ〜
だから、大雪が降りそうだと前日の夜ぐらいに除雪業者に連絡するんですが、
今回は夫が気づかなかったようで・・・当日になるともう、いつ来てもらえるか・・・って感じです。
道路も渋滞するし。
あと雪捨ての場所でご近所トラブルとかもあるんですよ〜想像つかないでしょ?(笑
あと北海道ならではだと、燃料手当ですかね。
うちは10月〜3月までの分を2回に分けて出しています。
結構かかるんですよ〜堯; ̄□ ̄A
>「これからは私がお姉ちゃんになるからもう頑張ってお姉ちゃんしなくていいよ」と言ったら姉は嘘みたいに変わりました(^_^;)
いや〜う〜みんさん、性格いいですよ〜
私なんて大学の頃まで自分のことしか考えてなかったし、いつも姉への待遇をひがんで
親に文句ばっかり言ってました(笑
若い頃は友達も多くてひょうひょうとしている姉のことが羨ましくて屈折した感情を抱いていましたよ。大人になってから素直に表現できるようになったかな〜
姉は我慢強いし、ちゃんと自立しているし、自分はあまちゃんだな〜と思いますよ〜~(=^‥^A

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