2011年11月15日
ハイビジョン特集「しあわせのカタチ〜脚本家・木皿泉 創作の”世界”〜」
「脚本家・木皿泉」とは、夫婦である妻鹿年季子と和泉務の共同ペンネーム。
私がこの脚本家の名前を知ったのは、2003年に放送された「すいか」からだった。
その時は、まだ、何か、毎回心にひっかかるセリフがあるおもしろいドラマだな〜程度だったのだが、
「セクシーボイスアンドロボ」を見て以来、非常に気になる脚本家として意識し始めた。
木皿泉によって創られた世界は、私の心の奥にはあるんだけど、名付けられなかったり、もやもやとして表現できないようなものを、すっと、きれいなカタチで見せてくれたように思った。
それは、多分、とりたてて珍しいものではない。
誰もが持っているものなんだけど、いろんな理由で隠してしまったり、捨ててしまったと思っているようなもの。
それをさりげなく差し出してもらえて、素直に受け取る自分がいる。なぜだろう・・・
その不思議さから、この脚本家に興味を持ったのです。
]
私がこの脚本家の名前を知ったのは、2003年に放送された「すいか」からだった。
その時は、まだ、何か、毎回心にひっかかるセリフがあるおもしろいドラマだな〜程度だったのだが、
「セクシーボイスアンドロボ」を見て以来、非常に気になる脚本家として意識し始めた。
木皿泉によって創られた世界は、私の心の奥にはあるんだけど、名付けられなかったり、もやもやとして表現できないようなものを、すっと、きれいなカタチで見せてくれたように思った。
それは、多分、とりたてて珍しいものではない。
誰もが持っているものなんだけど、いろんな理由で隠してしまったり、捨ててしまったと思っているようなもの。
それをさりげなく差し出してもらえて、素直に受け取る自分がいる。なぜだろう・・・
その不思議さから、この脚本家に興味を持ったのです。
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2004年、和泉さんは脳内出血で倒れ、要介護4と認定され、車椅子の生活となった。
これを機に二人は結婚。
現在、神戸市の自宅MSで、年季子さんが介護をしながら、執筆活動を続けている。
この番組は、和泉さんと年季子さんが、今思う「夫婦のしあわせのカタチ」を書きおろしたドラマと、その創作過程を追ったもので、非常に興味深いものでした。
そもそも、二人で作るってどんな感じなんだろう・・・
どちらかがプロットを組み立てて、もう片方がセリフを作っていって、最終的に二人で細かい部分の調整するのかな〜とか思ったりしたんだけど、最初っから(無の状態から)本当に二人で探り始めるという感じだった。
「夫婦の話」「ドラマのセットは木皿泉の自宅」という設定が決まると、二人がそれぞれ気になる本を読み、そこからインスピレーションを得て、会話をしながら発見し、アイディアを出しながらさらに模索し、発展させていく。
骨組みを作って、そこに粘土を少しつづ塗り重ねていって、造形していくイメージ?
話し合いを重ねる度に「何か」だったものは、はっきりとしたカタチになっていく。
これは本当に二人の価値観が一致しているからできることなんだろうなぁ・・・
でもその一致は裏表だったり、凸凹だったり、違うということを理解し合ってるからこその一致なのでしょう。
ドラマのタイトルは江戸時代中期の雑俳集である「武玉川」にあった一句からつけられました。
『世の中を忘れたやうな蚊帳の中』
おもしろいタイトルです。
第一話 さまざまな人が通って日が暮れる
ツマちゃん(薬師丸ひろ子)とダンちゃん(田中哲司)は共に出版関係の会社で働く夫婦。
酔っぱらいをインタビューする「昨夜の酔いどれ天使」にダンちゃんが出演して、「俺、ホントに生きてんのかなぁ、ホントは今のコレ、全部ウソなんじゃないのかなぁって思うのね」と発言したことから、夫婦は今まで交わしたことのない会話を始めるのでした。
ツマちゃんが画面を見て、黙ってしまったのは怒っていたからではなく、自分もそう思っていたから。
突発的な事件から始まった二人の関係をツマちゃんは「ままごとみたい」と思ったそうな。
そして、今も「あのまま、ままごとをし続けているのかなぁ・・」と。
一致しているんだけど、一致していることに密かにドキッとする二人・・・
ラストのダンちゃんの「ままごととやらを命懸けでやってみせてやろうじゃねぇの」のセリフに木皿泉さんの気概を感じました。
第二話 うそがきらいで顔がさびしい
二人で食べようと「ダンちゃんふうヘレステーキ」を焼くダンちゃん・・
でも、セレブ結婚式に出席してきたツマちゃんは、家の中のなにもかも(夫も含む)がみみっちくて見えてしまう。
自分たちは結婚式も挙げてないし、指輪ももらっていないとボヤくツマちゃんのために「何でも買ってよしの券」に100万円と書くダンちゃん・・・
でも、遠慮するツマちゃんの声でどんどん値下がりし、しまいに15万円になった券はダンちゃんに進呈される。
実は、ツマちゃんはダンちゃんにある秘密を抱えていたため、気楽に受け取れなかったのだ。
しょっぱなからにんにくたっぷりの旨そうなステーキ、そして、その肉汁で作ったチャーハンを見せられて、食欲を大いに刺激されました。
普段、年季子さんは食べることが大好きな和泉さんのために、目で見て、そして味わって、なおかつ栄養価のある食事を作っている。
介護をしながら、丁寧な食事作りをすることは、本当に大変なことだと思う。
でも、食べることは生きること。食卓を囲みながら、共に食べるということが年季子さんにとっても幸せなんだと思う。
第三話 腹立つとき見るための海
ツマちゃんは、ダンちゃんの双子の弟のタカシと偶然再会。
タカシは彼女を「いいところ」へ案内してくれるらしい。
歩きながら会社の金8千万円があるから一緒に逃げようと誘うタカシ。
さらに、そのお金に触るよう誘うのですが・・・・触ると気が変わるかもしれないから触らないと答えるツマちゃん。
「人間って弱いから」
そして、ダンちゃんがリストラされること、それを自分が伝えねばならいことを漏らすツマちゃん。
「リストラされたら、ダンちゃんの価値って下がっちゃうのかな?世間の目は・・・そうだよね?
だとしたら、私も世の中の人とおんなじになっちゃうのかな?私の心は変わってしまうのかなぁ・・」
「大丈夫。ツマちゃんは変わらないって」と8千万の入ったバッグを渡すタカシ。
その通り。バッグを投げ捨てるツマちゃん。
すっきりしたツマちゃんはタカシと海の見える場所から最高の景色を堪能するのでした。
「奇蹟だよね。自分に帰る家があるなんて。こ〜んなにたくさんある中でたったひとつだけ、私が帰るうちがある。奇蹟だね」
帰宅したツマちゃんを、ネットショッピングで間違って蚊帳を買ってしまったダンちゃんが、その中で待っていました。
蚊帳の中には、非日常があり、何でも言えそうな雰囲気がある。
ツマちゃんは、ダンちゃんにリストラの件を告げるのでした。
非常におもしろい脚本でした。
「弱い人間」である自分の心変わりを恐れる気持ちと変らないという安心感を8千万円という現金を使って表現し、その上で蚊帳という小道具をうまく使って告白させるという。
リストラされても、ダンちゃんへの思いは変らないと思えたからこそのリストラ宣言でしたが、やはりダンちゃんはショックだったようです。
これは介護鬱と共に生きている年季子さんの和泉さんへの思いと、和泉さんから年季子さんへの複雑な思いが込められた作品だと思いました。
そして帰る家があるという「奇蹟」という言葉には多くの意味が含まれている。
大切な相手に出会えたという奇蹟、そして共に生きているという奇蹟、でも、その奇蹟は信じることから始まっているということ、信じ続けることで未来に繋がっていくということ。
最終話 世の中を忘れたやうな蚊帳の中
リストラ宣告されたダンちゃんは「稼いでもいない俺がこの家に居続けることはできない」という置き手紙を残して出て行ってしまう。
タカシの調査で、ダンちゃんがあの海の見える町の、築60年の小さなアパートに住んでいることを知ったツマちゃんは、住んでいたマンションの鍵をタカシに渡し、蚊帳だけを持ってそのアパートに向かうのでした。
高台から海を見つめるツマちゃんは笑顔でした。
「たったひとつだけ私が帰る家がある・・・奇蹟だよ」
エンディングには、木皿泉さんがこの夏よく聞いたという憂歌団の「君といつまでも」が流れました。
これが二人の考える「しあわせのカタチ」であり、「愛」なんですね。
「どこに行くの?」と問いかけたタカシに対して、ツマちゃんは「この世の果て」と嬉しそうに答えた。
他の人には「この世の果て」だとしても、ツマちゃんはそこに幸せがあると信じている。
このドラマが年季子さんと和泉さんのお互いに宛てたラブレターのようにも思えました。
生きていさえいてくれたら、何もいらない。
夫婦だから、生活していく中できれいごとだけではすまない様々な感情も生まれるでしょう。
それでも、最後に残るのは二人で生きる未来に幸せがあると信じる心。
木皿泉さんの脚本には、二人が大切にしてきた、そんな真実が込められているから、心をうつのかな・・・
その真実は、積み重ねられる日々の生活の中で育まれている。
正直、私の描いていたイメージとはまったく違ったお二人だったのですが、木皿泉の世界の秘密がほんの少しだけわかったような気がします。
脚本家としてプライベートな部分を出すというのは勇気のいることだと思うのですが、これもまた、木皿泉としての新しいチャレンジなのでしょう。
ますます興味がわいてきました。
ゆっくりと時間をかけて紡がれる木皿泉の世界を、また体験出来る日が来ることを心から楽しみにしております。
このブログの木皿泉脚本ドラマの感想
「セクシーボイスアンドロボ」
「Q10」
お二人の部屋にあった、かわいい夫婦だるまがドラマの中でうまく使われていました。
どこかで見たような気がするのだけれど・・・どこだっけ?
これを機に二人は結婚。
現在、神戸市の自宅MSで、年季子さんが介護をしながら、執筆活動を続けている。
この番組は、和泉さんと年季子さんが、今思う「夫婦のしあわせのカタチ」を書きおろしたドラマと、その創作過程を追ったもので、非常に興味深いものでした。
そもそも、二人で作るってどんな感じなんだろう・・・
どちらかがプロットを組み立てて、もう片方がセリフを作っていって、最終的に二人で細かい部分の調整するのかな〜とか思ったりしたんだけど、最初っから(無の状態から)本当に二人で探り始めるという感じだった。
「夫婦の話」「ドラマのセットは木皿泉の自宅」という設定が決まると、二人がそれぞれ気になる本を読み、そこからインスピレーションを得て、会話をしながら発見し、アイディアを出しながらさらに模索し、発展させていく。
骨組みを作って、そこに粘土を少しつづ塗り重ねていって、造形していくイメージ?
話し合いを重ねる度に「何か」だったものは、はっきりとしたカタチになっていく。
これは本当に二人の価値観が一致しているからできることなんだろうなぁ・・・
でもその一致は裏表だったり、凸凹だったり、違うということを理解し合ってるからこその一致なのでしょう。
ドラマのタイトルは江戸時代中期の雑俳集である「武玉川」にあった一句からつけられました。
『世の中を忘れたやうな蚊帳の中』
おもしろいタイトルです。
第一話 さまざまな人が通って日が暮れる
ツマちゃん(薬師丸ひろ子)とダンちゃん(田中哲司)は共に出版関係の会社で働く夫婦。
酔っぱらいをインタビューする「昨夜の酔いどれ天使」にダンちゃんが出演して、「俺、ホントに生きてんのかなぁ、ホントは今のコレ、全部ウソなんじゃないのかなぁって思うのね」と発言したことから、夫婦は今まで交わしたことのない会話を始めるのでした。
ツマちゃんが画面を見て、黙ってしまったのは怒っていたからではなく、自分もそう思っていたから。
突発的な事件から始まった二人の関係をツマちゃんは「ままごとみたい」と思ったそうな。
そして、今も「あのまま、ままごとをし続けているのかなぁ・・」と。
一致しているんだけど、一致していることに密かにドキッとする二人・・・
ラストのダンちゃんの「ままごととやらを命懸けでやってみせてやろうじゃねぇの」のセリフに木皿泉さんの気概を感じました。
第二話 うそがきらいで顔がさびしい
二人で食べようと「ダンちゃんふうヘレステーキ」を焼くダンちゃん・・
でも、セレブ結婚式に出席してきたツマちゃんは、家の中のなにもかも(夫も含む)がみみっちくて見えてしまう。
自分たちは結婚式も挙げてないし、指輪ももらっていないとボヤくツマちゃんのために「何でも買ってよしの券」に100万円と書くダンちゃん・・・
でも、遠慮するツマちゃんの声でどんどん値下がりし、しまいに15万円になった券はダンちゃんに進呈される。
実は、ツマちゃんはダンちゃんにある秘密を抱えていたため、気楽に受け取れなかったのだ。
しょっぱなからにんにくたっぷりの旨そうなステーキ、そして、その肉汁で作ったチャーハンを見せられて、食欲を大いに刺激されました。
普段、年季子さんは食べることが大好きな和泉さんのために、目で見て、そして味わって、なおかつ栄養価のある食事を作っている。
介護をしながら、丁寧な食事作りをすることは、本当に大変なことだと思う。
でも、食べることは生きること。食卓を囲みながら、共に食べるということが年季子さんにとっても幸せなんだと思う。
第三話 腹立つとき見るための海
ツマちゃんは、ダンちゃんの双子の弟のタカシと偶然再会。
タカシは彼女を「いいところ」へ案内してくれるらしい。
歩きながら会社の金8千万円があるから一緒に逃げようと誘うタカシ。
さらに、そのお金に触るよう誘うのですが・・・・触ると気が変わるかもしれないから触らないと答えるツマちゃん。
「人間って弱いから」
そして、ダンちゃんがリストラされること、それを自分が伝えねばならいことを漏らすツマちゃん。
「リストラされたら、ダンちゃんの価値って下がっちゃうのかな?世間の目は・・・そうだよね?
だとしたら、私も世の中の人とおんなじになっちゃうのかな?私の心は変わってしまうのかなぁ・・」
「大丈夫。ツマちゃんは変わらないって」と8千万の入ったバッグを渡すタカシ。
その通り。バッグを投げ捨てるツマちゃん。
すっきりしたツマちゃんはタカシと海の見える場所から最高の景色を堪能するのでした。
「奇蹟だよね。自分に帰る家があるなんて。こ〜んなにたくさんある中でたったひとつだけ、私が帰るうちがある。奇蹟だね」
帰宅したツマちゃんを、ネットショッピングで間違って蚊帳を買ってしまったダンちゃんが、その中で待っていました。
蚊帳の中には、非日常があり、何でも言えそうな雰囲気がある。
ツマちゃんは、ダンちゃんにリストラの件を告げるのでした。
非常におもしろい脚本でした。
「弱い人間」である自分の心変わりを恐れる気持ちと変らないという安心感を8千万円という現金を使って表現し、その上で蚊帳という小道具をうまく使って告白させるという。
リストラされても、ダンちゃんへの思いは変らないと思えたからこそのリストラ宣言でしたが、やはりダンちゃんはショックだったようです。
これは介護鬱と共に生きている年季子さんの和泉さんへの思いと、和泉さんから年季子さんへの複雑な思いが込められた作品だと思いました。
そして帰る家があるという「奇蹟」という言葉には多くの意味が含まれている。
大切な相手に出会えたという奇蹟、そして共に生きているという奇蹟、でも、その奇蹟は信じることから始まっているということ、信じ続けることで未来に繋がっていくということ。
最終話 世の中を忘れたやうな蚊帳の中
リストラ宣告されたダンちゃんは「稼いでもいない俺がこの家に居続けることはできない」という置き手紙を残して出て行ってしまう。
タカシの調査で、ダンちゃんがあの海の見える町の、築60年の小さなアパートに住んでいることを知ったツマちゃんは、住んでいたマンションの鍵をタカシに渡し、蚊帳だけを持ってそのアパートに向かうのでした。
高台から海を見つめるツマちゃんは笑顔でした。
「たったひとつだけ私が帰る家がある・・・奇蹟だよ」
エンディングには、木皿泉さんがこの夏よく聞いたという憂歌団の「君といつまでも」が流れました。
これが二人の考える「しあわせのカタチ」であり、「愛」なんですね。
「どこに行くの?」と問いかけたタカシに対して、ツマちゃんは「この世の果て」と嬉しそうに答えた。
他の人には「この世の果て」だとしても、ツマちゃんはそこに幸せがあると信じている。
このドラマが年季子さんと和泉さんのお互いに宛てたラブレターのようにも思えました。
生きていさえいてくれたら、何もいらない。
夫婦だから、生活していく中できれいごとだけではすまない様々な感情も生まれるでしょう。
それでも、最後に残るのは二人で生きる未来に幸せがあると信じる心。
木皿泉さんの脚本には、二人が大切にしてきた、そんな真実が込められているから、心をうつのかな・・・
その真実は、積み重ねられる日々の生活の中で育まれている。
正直、私の描いていたイメージとはまったく違ったお二人だったのですが、木皿泉の世界の秘密がほんの少しだけわかったような気がします。
脚本家としてプライベートな部分を出すというのは勇気のいることだと思うのですが、これもまた、木皿泉としての新しいチャレンジなのでしょう。
ますます興味がわいてきました。
ゆっくりと時間をかけて紡がれる木皿泉の世界を、また体験出来る日が来ることを心から楽しみにしております。
このブログの木皿泉脚本ドラマの感想
「セクシーボイスアンドロボ」
「Q10」
お二人の部屋にあった、かわいい夫婦だるまがドラマの中でうまく使われていました。
どこかで見たような気がするのだけれど・・・どこだっけ?
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1. ハイビジョン特集『しあわせのカタチ〜脚本家・木皿泉、創作の“世界”』 [ レベル999のgoo部屋 ] 2011年11月15日 21:11
神戸に住む、、、、木皿泉さん。。。。和泉務さんと妻鹿年季子さん
番組は、夫婦の日常をドキュメントとして表現しながら、
一方で、そこから生まれた、1つの夫婦の幸せを、
木皿泉さんの自宅をロケ地に。。。。描いたドラマ。
そんな、木皿泉の世界を描いた番組である...
2. 2011年11月のまとめ〜夏クールドラマの中間報告その2 [ 昼寝の時間 ] 2011年12月02日 16:00
もう2011年も終わりっ・・・ ※「自己紹介のようなメモ」にも書いておりますが、
この記事へのコメント
1. Posted by みのむし 2011年11月15日 18:30
このドラマ知りませんでした。
なんだか面白そうです〜〜。
2時間ドラマのオムニバスって感じですかね。
脚本家さんの私生活そのままを描いているんですかね。
こんな夫婦になりたいなぁって思わせるような
いい雰囲気のドラマですなぁ。。。
なんだか面白そうです〜〜。
2時間ドラマのオムニバスって感じですかね。
脚本家さんの私生活そのままを描いているんですかね。
こんな夫婦になりたいなぁって思わせるような
いい雰囲気のドラマですなぁ。。。
2. Posted by きこり→みのむしさん 2011年11月15日 19:10
木皿泉さん夫婦の関係を投影させたドラマなんですが、なんかおもしろかったですよ〜
途中に木皿泉さんたちの創作過程や介護の様子がはさまれて、生活の中でじっくりと創作されてるってのがよくわかりました。
一話が10分ぐらいなんだけど、薬師丸さんと田中さんの夫婦もかわいらしくて、いい感じだったなぁ・・
BSプレミアムで入ったんだけど、木皿泉ファンにはぜひ見て欲しい番組だと思ったわ〜
途中に木皿泉さんたちの創作過程や介護の様子がはさまれて、生活の中でじっくりと創作されてるってのがよくわかりました。
一話が10分ぐらいなんだけど、薬師丸さんと田中さんの夫婦もかわいらしくて、いい感じだったなぁ・・
BSプレミアムで入ったんだけど、木皿泉ファンにはぜひ見て欲しい番組だと思ったわ〜
3. Posted by Largo 2011年12月02日 15:59
こんにちわ。
少し前に、と言っても録ってから大分たってから拝見しました。
ミニ・ドラマは木皿さんらしさが凝縮されていて面白かったですね。
双子、という設定も、キャストが二人だけという制約なので無理矢理作った、という感じが全然なく、すごく木皿さんらしい自然さでした。
番組自体が要介護の夫とその妻、という側面と、創作に関してはお互い容赦しない部分が混然となっていて、興味深かったです。
深刻なシーンでも軽みを感じるのは、ご本人たちがどんな状態からも滑稽さを感じ取れる強さと優しさがあるからなのかな、と思いました。
次回作が楽しみですね。
少し前に、と言っても録ってから大分たってから拝見しました。
ミニ・ドラマは木皿さんらしさが凝縮されていて面白かったですね。
双子、という設定も、キャストが二人だけという制約なので無理矢理作った、という感じが全然なく、すごく木皿さんらしい自然さでした。
番組自体が要介護の夫とその妻、という側面と、創作に関してはお互い容赦しない部分が混然となっていて、興味深かったです。
深刻なシーンでも軽みを感じるのは、ご本人たちがどんな状態からも滑稽さを感じ取れる強さと優しさがあるからなのかな、と思いました。
次回作が楽しみですね。
4. Posted by きこり→Largoさん 2011年12月03日 15:46
>ミニ・ドラマは木皿さんらしさが凝縮されていて面白かったですね。
お二人の考える「夫婦の幸せ」を反映させたおもしろい作品でしたよね〜
主人公の二人は木皿泉であって、木皿泉ではない。
でも、これが木皿泉なんだな〜と思える、いいドラマでした。
薬師丸ひろ子さんも田中哲司さんも、かわいらしくて・・人間が愛しく思えるようなラストでした。
>ご本人たちがどんな状態からも滑稽さを感じ取れる強さと優しさがあるからなのかな、と思いました。
それが木皿泉らしさなんでしょうね。
現実をしっかりと受け止め、それでも、希望を見つめ、未来を信じ続ける。難しいことだけど、お二人は一緒にいることにで、その方法を見つけたのかもしれません。
「たったひとつだけ、私が帰る家がある」というツマちゃんの言葉にお二人が生きてきた軌跡が感じられて心が震えました。
お二人の考える「夫婦の幸せ」を反映させたおもしろい作品でしたよね〜
主人公の二人は木皿泉であって、木皿泉ではない。
でも、これが木皿泉なんだな〜と思える、いいドラマでした。
薬師丸ひろ子さんも田中哲司さんも、かわいらしくて・・人間が愛しく思えるようなラストでした。
>ご本人たちがどんな状態からも滑稽さを感じ取れる強さと優しさがあるからなのかな、と思いました。
それが木皿泉らしさなんでしょうね。
現実をしっかりと受け止め、それでも、希望を見つめ、未来を信じ続ける。難しいことだけど、お二人は一緒にいることにで、その方法を見つけたのかもしれません。
「たったひとつだけ、私が帰る家がある」というツマちゃんの言葉にお二人が生きてきた軌跡が感じられて心が震えました。