2005年05月10日
「モリのアサガオ」 第二巻 郷田マモラ 著
郷田マモラの「モリのアサガオ」第二巻がやっと出た。
親の後をついで何も考えずに新人刑務官となった及川直樹は、死刑囚の舎房で働くことになった。
初めて出合った死刑囚達の生活とは、懲役囚のように厳しい規律で生活することもなく、
房から出ることはできないながらも髪型も服装も自由、好きな本を読んだり気ままにすごしている姿だった。
最初は、反省のかけらもなく過ごしている死刑囚にやり場のない怒りとそんな死刑囚たちに
気をつかう自分の仕事に矛盾を感じ、刑務官という仕事に疑問を持つ直樹だったが、
死刑囚一人ひとりのことを知っていくうちに、罪の意識に苦しむ複雑な心理状態にある囚人たちの姿に気づき、少しずつ積極的に仕事に関わっていくようになる。
親の後をついで何も考えずに新人刑務官となった及川直樹は、死刑囚の舎房で働くことになった。
初めて出合った死刑囚達の生活とは、懲役囚のように厳しい規律で生活することもなく、
房から出ることはできないながらも髪型も服装も自由、好きな本を読んだり気ままにすごしている姿だった。
最初は、反省のかけらもなく過ごしている死刑囚にやり場のない怒りとそんな死刑囚たちに
気をつかう自分の仕事に矛盾を感じ、刑務官という仕事に疑問を持つ直樹だったが、
死刑囚一人ひとりのことを知っていくうちに、罪の意識に苦しむ複雑な心理状態にある囚人たちの姿に気づき、少しずつ積極的に仕事に関わっていくようになる。
「アサガオ」とは、朝の9時から10時の間に死刑が執行されることから、
ある死刑囚が言った「わしらは朝早う咲いて昼にはくたばってしまうアサガオの花といっしょやがな」という言葉から。
「モリ」とは、直樹の恋人の麻美が言った「拘置所って町の中にあるけれど、そこだけが深い森の中みたいに閉ざされているんやね」という言葉からきている。
死刑囚たちがどんな暮らしをしているか、何を考え、どんなふうに罪と向きあっているのかまったくわからない。
存在しているのに、外側にいる人間にその実態が知らされることはない。
第一巻では、直樹のとまどいと刑務官という仕事への迷いが描かれたが、
第二巻では、直樹がずっと気にかけていた自分と同じ歳の死刑囚、家族を殺した相手に復讐した渡瀬満との出会いと人間としても少しづつ成長していく直樹の姿が描かれる。
作者は「死刑」の是非というものを読者に問うているが、まだ作者自身にも結論は出ていないのかもしれない。
この漫画でも描かれているが、極悪非道の殺人をした者が死刑囚としての生活をすることによって、自分の罪の恐ろしさに気づき、罪の深さの前に様々な苦悩をえることにより、
心から悔い改め人間として成長するという場合もあると思う。
そうした場合、その人間をも死刑にするべきなのだろうか・・・
更生の見込みゼロの人間も存在するだろうが、それを決めるのも同じ人間なのだ。
一方、もし被害者の家族の側であったら加害者に「死刑」を望むかもしれない。
しかし、死刑にしたところで被害者は還ってこないし、もし相手が反省のかけらもない人間なら、
家族は行き場のない苦しみと憎しみにとらわれ続けるだろう。
最近、被害者の家族の知る権利が少しずつ考えられているようだが、留置所に入ってしまえば、その後を知ることは難しいのだろう。
刑が決まっても残された家族の苦しみは終わることがない。
どんな形が、正しいのか双方にとって救いとなるのか・・・
私自身もこの漫画を読みながら考え続けようと思う。
「モリのアサガオ」 第三巻
「モリのアサガオ」 第四巻
「モリのアサガオ」 第五巻
「モリのアサガオ」 第七巻
ある死刑囚が言った「わしらは朝早う咲いて昼にはくたばってしまうアサガオの花といっしょやがな」という言葉から。
「モリ」とは、直樹の恋人の麻美が言った「拘置所って町の中にあるけれど、そこだけが深い森の中みたいに閉ざされているんやね」という言葉からきている。
死刑囚たちがどんな暮らしをしているか、何を考え、どんなふうに罪と向きあっているのかまったくわからない。
存在しているのに、外側にいる人間にその実態が知らされることはない。
第一巻では、直樹のとまどいと刑務官という仕事への迷いが描かれたが、
第二巻では、直樹がずっと気にかけていた自分と同じ歳の死刑囚、家族を殺した相手に復讐した渡瀬満との出会いと人間としても少しづつ成長していく直樹の姿が描かれる。
作者は「死刑」の是非というものを読者に問うているが、まだ作者自身にも結論は出ていないのかもしれない。
この漫画でも描かれているが、極悪非道の殺人をした者が死刑囚としての生活をすることによって、自分の罪の恐ろしさに気づき、罪の深さの前に様々な苦悩をえることにより、
心から悔い改め人間として成長するという場合もあると思う。
そうした場合、その人間をも死刑にするべきなのだろうか・・・
更生の見込みゼロの人間も存在するだろうが、それを決めるのも同じ人間なのだ。
一方、もし被害者の家族の側であったら加害者に「死刑」を望むかもしれない。
しかし、死刑にしたところで被害者は還ってこないし、もし相手が反省のかけらもない人間なら、
家族は行き場のない苦しみと憎しみにとらわれ続けるだろう。
最近、被害者の家族の知る権利が少しずつ考えられているようだが、留置所に入ってしまえば、その後を知ることは難しいのだろう。
刑が決まっても残された家族の苦しみは終わることがない。
どんな形が、正しいのか双方にとって救いとなるのか・・・
私自身もこの漫画を読みながら考え続けようと思う。
「モリのアサガオ」 第三巻
「モリのアサガオ」 第四巻
「モリのアサガオ」 第五巻
「モリのアサガオ」 第七巻