サンタ伝説「リンカーン」パパの会

2005年12月21日

「グレートマザー物語」フジ子・ヘミング

 私は、クラッシックは自分の好きな曲のみ聴くという感じで詳しくはない。
でも、娘がピアノをやってるので自然といろんな曲を耳にするようになって
だんだん、もっといろいろ聞いてみたいな〜と思うようになりました。
 フジ子・ヘミングさんのことは、本でちらっと知ってたんだけど
去年ドラマを見てからますます興味がわいてきたのです。

 まず、その外見に惹かれました。
言っちゃなんだが、ピアニストにしてはけっこうどっしりした体形の意外性。
それと、服装とかがプリティーとメルヘンを足したような個性的なもので
猫おばさんぽい・・・実際、彼女は猫好きで自宅には20匹の猫がいるらしい。
 そして、指・・・彼女の手は母親ゆずりらしいがぽっちゃりとしてどちらかというと小さくて不器用そうに見える。
そんな指から奏でられる音楽の美しさに一瞬のうちに魅了されたのです。

 フジ子の母、投網子(とあこ)は1903年生まれ。
裕福な家に生まれ、ハイカラ好きな父の意向でピアノを始め、
東京芸術大学に進み、ベルリンへ留学もしています。
この時代に音楽留学ですよ?!世界が違うって感じだわね〜

 ベルリンで結婚した夫と共に日本に帰ってきたが
慣れない国で暮らす夫と投網子はケンカを繰り返すようになり離婚。 
その後、ピアノ教師をしながら女手一つでフジ子を育てた気丈なお母さんは
かなりは激しくてキツイ性格だったようです。
6歳から始めた母によるピアノレッスンは、2時間単位で日に三回。
って、一日の大半じゃん!
練習中の罵倒もひどく傷つくことの連続。
「いつも、バカとかアホとか言われて、
40くらいまで、自分のことをバカと思っていた」

 しかし、そのピアノの才能はすばらしく小学3年生の時、
ラジオで演奏をして天才少女として注目を集める。
フジ子の人生はチャンスと失意・絶望の繰り返しだった。
16歳の時、中耳炎をこじらせて右耳の聴力を失なってしまう。

その後、東京芸術大学に入学。
在学中からその存在は異彩を放っていたが卒業後の仕事はレストランのピアノ弾き。
 才能があるからといってすぐにデビューできるとは限らない。
失意の日々を送るフジ子を励まそうと母から腕時計が贈られた。
それは、今でも大切に身につけている。

 そんな中、留学を決意するが国籍問題でなかなか出国できない。
失意と焦燥の日々を過ごしながらやっと留学できたのは20代後半。
ベルリンで東洋人としての差別に耐えながらピアノの世界に没頭するフジ子。
母からは、叱咤する手紙とともに毎月仕送りがあった。

 異国で生きる娘を母親はあえてつねに厳しい言葉で突き放すように接した。
リサイタルを開くが失敗したフジ子は逃げるようにオーストリアへ。
貧しく苦しい生活を続けているうちに、バーンスタインに出会ってやっと世界デビューが決まる。
 しかし、リサイタルの直前、風邪をひいて左耳の聴力も失ってしまう。
(その後、多少回復)
何も聞こえない状態で始まったリサイタルは大失敗。
「全てが終わった」と感じたフジ子は、幼い頃別れてから会っていない
父を頼ってスウェーデンへ訪ねて行くが拒絶されてしまう。

 母からの仕送りが心苦しかった。
フジ子は日本に帰ることにする。
怒られると思っていた母は大喜び。しかし、日本にはフジ子の場所はなかった。
どの楽団からも共演を拒否され、たった二ヶ月でドイツへと舞い戻る。
「私には祖国はないと思っている。それが気持ちいい。
どこの国の人も好きだし、どこの国の人も嫌い・・」

 日本に居るときは異人といじめられ、ヨーロッパでは東洋人とさげすまれる。
そして、フジ子を決して受け入れてはくれなかった街と人。
フジ子はどこにいても異邦人だった。
でも、フジ子の奏でる音色に人々が惹き付けられるのは、
彼女が孤独と絶望と挫折を味わいながらも弾き続けてきたからかもしれない。

 ドイツではピアノ教師として生計をたてながら静かに猫と暮らす日々。
後悔とあきらめに苛まれながらも、周りの人達に薦められ小さなリサイタルを
開いているうちにフジ子は
『たった一人でもいい、私のピアノを聴いてくれる人がいる限り
ピアノを弾き続けたい』と思うようになる。

 そう思えるようになるまで、どれほど心の中に嵐が吹き荒れ血を流すほどに苦しんだか・・・その末に到達した悟りのような心境だったのでしょう。
1993年、力ない「しっかりやりなさい・・」の電話を最期に母は亡くなる。
その日のフジ子の日記には
「さよなら、ママ・・すみません、なにもかも・・・」
と書かれている。
憎らしい母だったけど、純粋で人が良かった母。
重荷だったこともあった。でも、心の中にはいつも母がいた。
母がいたから耐えることができた。
その母を喜ばせたくて、そして「がんばったね」と言われたくて
生きてきたピアノ人生。かなえられなかった夢。
「今の状態の時に生きていてほしかった」

 フジ子が熱狂的に迎えられるのは母の死後、5年後のことだった。

 フジ子・ヘミングさんの波乱万丈の生きてきた道を見てきて思うのは
人生は長いんだなということ。残酷なほど・・。長いからこそ救いもあるし苦しむ。
若い時の苦しみは永遠のように思えるけれど、必ず苦しみから抜ける時が来る。

 フジ子は演奏の度に母に問いかける。
『お母さん、良かった?うれしいでしょ?』

人生って不思議だなあ・・と思う。

 ところで、菅野ちゃんの主演した「フジ子・ヘミング 魂の軌跡
は、かなりつらそうには作ってありましたがきれいに作られてるな〜
と思いました。もっと突っ込んでほしかったような・・
でも、菅野ちゃんはグッ・ジョブでした。
清潔で必死にピアノと向き合っているフジ子が出ていたと思います。

 ちなみにお母さん役は野際陽子さん、合ってましたよ〜
怖いけど実は情があるって感じで。

 ちょっとフジ子・ヘミングさんに興味がわいたわという方プチッとお願いします。
   人気blogランキングへ

このエントリーをはてなブックマークに追加

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by ヨーコ   2005年12月22日 08:07
なんかね、私もたまたま途中から見たんですよ。
波乱万丈ってあ〜ゆ〜事を言うんだな〜って思っちゃった。
この前、家田荘子がテレビで自分の話をしてるのを見た時も思ったんだけど、自分の能力を信じてガンガン売り込んでいく人って凄いな〜って思うわ〜。
私は引っ込み思案でお恥ずかしい(汗。
2. Posted by きこり→ヨーコさん   2005年12月22日 16:44
ホントに、こういう人こそ「いつ見ても波乱万丈」に出るべきなのよ。
家田荘子さんは別の世界にいるね・・確実に。
この人出家したんじゃなかったっけ?
そのわりには俗世間にまみれてるような・・・
ヨーコさん、引っ込み思案って?!
うそ〜ん!
きちんと積極的に生きてるように思ったぞ。
3. Posted by mari   2005年12月23日 00:40
きこりさん、こんばんわ〜。
今年、フジコ・ヘミングのコンサートを
サントリーホールで聴いてきました。
CDで聴くより、もっと激しく、力強く
圧倒されて帰宅しました。
他のピアニストとは、違う体型のかたで
あの体力が、いいのかなぁと、納得して
しましました(笑)
4. Posted by きこり→mariさん   2005年12月23日 10:36
いいなぁ〜
ピアノはやっぱりちょくで(?)聴きたいですよね〜
番組では歩くのもちょっと苦しそうだったけど
実は体力あるのかしら・・・
しかも、猫20匹と同居ってすごいですよね〜
りっぱな猫おばさんだわ。

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
サンタ伝説「リンカーン」パパの会